略歴
1964年、愛知県名古屋市に生まれる。生後間もなく秋田県鹿角市に移るも、物心がついた頃には神奈川県開成町に移り住み、学生時代の多くを足柄平野で過ごし、現在は茅ヶ崎市に事業拠点を構え活動中。
幼少の頃から地元のお寺で書道を習い、座禅や説法に触れつつ、日曜日には教会のミサにも通った。青年期までは不思議な体験も多く、五次元の世界を無意識に理解するようになる。思春期には、学校の存在する意味や、勉強の本質とは何か、そんな疑問を抱きながら、理想と現実の狭間や、理不尽な大人達のエゴに息苦しさを感じ「生きる本当の意味」を考え始める。
中学高校時代は、フォークソングユニットを結成し音楽に浸りながら、部活動では剣道部主将を務める。文武両道というより、芸武両道を務め、勉学からは外れた道を歩む。
社会人となり「人生とは何か?」その答えは旅にあると感じた頃から、オートバイや自転車にテントを積んで、北海道一周、九州一周、四国一周など、あてもなく走り、全国の神社仏閣、パワースポットなど47都道府県を巡る。さらに日本の小さな島々にも興味を持ち、小笠原諸島の父島や母島、種子島や屋久島、利尻島や礼文島、天売島や焼尻島などの島々を巡った。
その後、四国の旅の中で知った空海の天才的な思考と行動力に深く感銘し、弘法大師が歩いた四国八十八霊場に惹かれ、通し打ちお遍路1,300キロを37日間で歩き通した。
海外ではアジア、アメリカ、ヨーロッパを中心に出張や観光で巡る中、やがて一般の観光客が訪れることのないような場所を好んで、バックパック一つで歩くようになる。観光地ではない危険な場所にも踏み入れ、実体験を通じて、マスメディアの陰に隠された「各国の本当の姿」を見つけ、本質を探ることの意味の深さを知る。
仕事面としては、長く会社勤めによって多くの経歴を重ねつつも「本音と建前で仕事をする」だけの世界に「本当の志事」を見つけることが出来ず、悩んだ末40代半ばでようやく独立開業を果たす。
最初に起業した事業として、全盛期には「日本初のEV二輪専門販売会社」として9店舗を展開。一人当たりの販売台数で「日本一」を記録するなど、その業績や業態はマスコミにも注目され、大手新聞社の取材やテレビの有名ビジネス番組(ワールドビジネスサテライト)などにも出演する。
飛ぶ鳥を落とす勢いで業績を伸ばしていた中、大量に仕入れて販売した車両の部品に重大な欠陥が発覚し、大きなリコールによって経営不振となったメーカーが相次いで撤退。メーカー保証を受けられなくなった1000人のお客様だけが残されるという状況になる。販売会社としても撤退の道があったが、目の前で困っているお客様を助けるためメーカーの肩代わりを決意し、全てのお客様へ無償にて対応することとした。
それに伴い、事業の業績は急激に悪化し、やむなく8店舗を閉鎖、従業員には再就職を斡旋し全員解雇。1店舗だけを残し、ひとりで1000人のクレームを一手に引き受け、3年間不眠不休の対応をする。それにより多額の負債を負いながら、やがて1000人目のお客様の対応を終えると、最後の1店舗も閉鎖し廃業を決める。
心機一転「ライジングパワー・プロモーション」を立ち上げ、様々な事業を展開し再起を図るも、道半ば脳出血に倒れ生死を彷徨ったが、奇跡的に半身不随による車椅子生活を克服した。しかし、長期入院、長期リハビリによる機会損失から全てを失いホームレスとなる。
それでも諦めずチャレンジし続けていた時に出会った多くのご縁、そしてたくさんの人からパワーをいただき、どん底から復活。
「ライジングパワー」とは「立ち上がるチカラ」何度倒れても志を捨てず、事を成し遂げるために立ち上がろうという気持ち。そんな思いを持って、今も様々な事業にチャレンジし続けている。
仕事や人生における試練は己れの魂を磨くためにあり。その荒波の中で「人は一人では生きられない」「志事は一人では成り立たない」ということの「本質」に辿り着く。
その「本質」を知ってから「一人でも多くの人の役に立てる人間になる」ことを使命として「ビジネス構築やコンサル」を中心とした起業塾を運営。企業経営の傍ら、複数の企業を支援しつつ、現在は「世の中から病を少なく」を理念に世界の医療改革に挑み続ける製薬ベンチャーと共に病に苦しむ人々のサポートをしながら、一方では、人間だけではなく、ペットを中心とした動物の健康をサポートする会社「株式会社ウィンペット」を経営している。